桐生

     名称  概 要
  新田義貞公の足跡を辿る
 その1
新田義貞公は、いつ・何処で旗揚げし、どのように進軍したかをテーマに、
      今回は討幕の背景から旗揚げまで
  太平記の里・新田を訪ねて
その1
その2
 地元みどり市は、合併前は新田郡笠懸町といいました。
その新田には、地元のヒーロー・新田義貞公が存在した。彼が生きた時代に想いを馳せて新田を歩いてきました。
  桐生城築城と絹織物発展の関係
 西の西陣、東の桐生とまで謳われたほど桐生は織物の町として発展してきましたが、その桐生の織物が実は桐生城築城に深く関係していたこと、さらに関ケ原の合戦が契機となったことなどをご紹介します。
  郷土史
岡登用水始末記
 太平記の里・新田地方は湧水による荘園経営が盛んであったが、同じ新田でも北方の笠懸では湧水点が低く、掘っても石ころだらけの荒地であった。江戸時代の代官・岡上景能は、渡良瀬川から用水を引き新田開発を行ったのだが・・・
  邪馬台国と女王卑弥呼  邪馬台国は何処にあったのか・・・
学術的なことは抜きにして、城郭マニアの視点から「魏志倭人伝」を読み解く。
    卑弥呼の墓 卑弥呼の墓とされる平原1号墓で出土した銅鏡はなぜすべて割られていたのか
なぜ卑弥呼は邪馬台国ではなく、伊都国に葬られたのか
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